頭の中をサッパリしたい。要らないものを捨ててスッキリしたい。
そう思いながら、欲しいものを買ってしまう。
いろいろなこと、物を手に入れたくなる。
そんなことありませんか?
手放すこと
インド哲学(ヨガ哲学)には、「心や物を手放すといいよ」
と書かれている文章があります。
手放すことは、人との争いを減らすことで、優しくなれる。
そして、手放すとスッキリできて、新しい本当に大切なものやことが入ってくる。とも
「アパリグラハ」むさぼらない。欲張らない。
インド哲学で使用されている言葉サンスクリット語で「アパリグラハ」は、むさぼらない。欲張らない。という意味に訳されます。
日本人は、子供に「人に迷惑をかけないようにしなさい」ということがあります。
インド人は、子供に「人に迷惑はかけるから、人の役に立つことをしなさい」といいいます。
どちらの国が良い悪いではないのですが、インドでは、迷惑はかかるものと教えられています。
インド哲学の中でも、人は生きているだけで盗みを働かせていると教わります。
空気や、自然、食べ物、全てにおいて誰かがもらうものだったものを
自分自身がもらっているのです。
ですから、それを人の役に立つことに変えることで、盗みではなくなる。という考え方です。
これを私たちの生活で当てはめると、
無料の物や安いからといって必要ではないものを買わない。
誰かほかの人に行くはずの物が自分で買いためたり、持ちすぎていると他に回らなくなります。
必要以上の物を持たない。
そうすることで、行動が身軽になるので、チャンスや夢が近づくこと。
ストレスが減る生活になっていきますよ。
お釈迦様の「筏(いかだ)」のエピソード
お釈迦様の話で、このような話があります。
筏のたとえ
修行者たちよ、絶対的な安楽を得るために、
こだわりの心から開放されるために、”筏のたとえ”を説こう。ある時、道行く旅人が大河に出会った。
こちらの岸は危険であり、向こうの岸は安全である。しかし、船も橋もない。そこで、旅人は考えた。
「大きな河だ。でも、船も橋もない。
葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡るしかない。」そこで、旅人は、葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡った。
次に、旅人は考えた。
「この筏は大変役に立った。この筏のお陰で大河を渡ることが出来た。
この筏は捨てるには惜しい。担いで道を歩いて行こう。」さあ、この人は、適切な行動を取ったと言えるであろうか?
弟子たちは「いいえ」と言った。仏陀は続けた。
では、どうするのが適切か考えてみよう。「この筏は大変役に立った。この筏のお陰で大河を渡ることが出来た。
だが、この先は不要である。この筏を岸辺に置いて道を歩いていこう。」このような判断こそ、適切な判断である。
正しい教えですら捨て去るべき時がある。
「中部経典」寛照意訳
誤った教えであれば、なおさら捨て去らねばならない。
このように、ずっと手を握って持っていることはなくって、
その時、その時に必要なものを大切にすること。
将来必要かを考えるのではなくて
いま必要かどうかが大切なことなのだと感じさせられるのでした。
今日も読んでいただいてありがとうございました。
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